自動車なんでも相談室
自動運転
時事 ~あおり運転について考えてみる~
みなさま
西神自動車学院です。
さて、今回は近頃話題のあおり運転について、自動車学校・教習所という範囲を場合によっては超えて考えてみたいと思います。
運転に限らず、全てのことについてそうなのですが、体を動かすのは頭、脳。つまり考えかたがしっかりしていないと、あおり運転予備軍となってしまいます。
Contents
あおり運転とは?
これは大きな問題です。そもそも法律にそのような行為が定義されていません。あえていうなら、車間距離を不必要に詰めたり、危険な運転行動が度を越すとあおり運転と判断されるということです。
つまり、後述しますが、あくまでも状況に応じた判断となるので検挙されない限りは「俺だけセーフ」ということがまかりとおるのです。
マイルールと正義感とストレスと
さて、この「あおり運転」に関することがニュース等で取り沙汰されるたびにこういう状況ではこう走るべきだ、などというコメントが付されているわけです。
各々マイルールをお持ちのようで、
高速道路の右側車線を延々と走るのが悪い。
強引に右折してきた。
無理に進路変更をしてきた。
などなど。
つまり、自分は正しい運転をしているという意識、正義感とも置き換えられるものが強ければ強いほど、そして他者への不寛容が高まるにつれてストレスは蓄積されていくのです。
もちろん、自動車学校・教習所の立場からしても上記のような運転行動はもちろんNGとなるわけです。
またしかしそれがあおっていい理由とはなりません。
難しいところです。
みんな被害者?あおっている人も
ということでみんな被害者なわけですね。あおる側も。自分はこんなに正しく運転しているのに、なんで周りはきちんとしないんだ!!とか?
あれあれ、日常、家庭、仕事、学校でもこんなことありますよね。
こんなに毎日きちんと(仕事、家事を)しているのにパートナーが理解してくれない。
俺はきちんと仕事をしているのに周りが全然仕事をしない。
などなど。
だいたい周囲とうまくいかない時はこのような心持や状況のはずです。
あるいは周囲から浮いてしまっている困ったちゃんってこうですよね?
俺だけセーフ!! そしてあおり運転へ
誇張した表現を使うなれば人の数だけ正義があって、折り合いがつかなくなるとトラブル、国家間であれば「戦争」となるわけなのです。
話がそれました。上の例で言えば、追い越し車線を延々と走っているのが悪い。
だから多少車間距離を詰めても良い、俺だけセーフという身勝手な運転となるのです。そう、検挙されないだけでしらずしらずのうちにあおり運転となっていることは多いのです。
少し前に流行った自分へのご褒美、という言葉も少し気を付けなければなりません。
自分はこれだけ頑張ったからこれくらいは大丈夫というのもあおり運転と本質は同じところにある気がしますね。
備考 外部との遮断
気に入らない車を見つけて運転者の顔をのぞきこんで自分より怖そうな人が運転していたら途端に萎縮するとか、あるいはその逆であったり、車という頑丈な箱で守られていることからも他者を感じることが難しくなり乱暴な運転行動となることが多いようです。
AIにやられる
道路交通法という絶対的な規範があります。自動車学校・教習所の立場から言えば「あくまでも」これにのっとった、あるいは「大きく外れない運転をしてください」としか言えないのです。
上にあるような正義感やマイルールといったものをあまり振りかざしていると、あるゆるシチュエーションでの運転行動を全てAIに定量化されてしまい、それに従うことになりかねません。
そういうあいまいなものに白黒をつけることにもっと適しているのがAIだからです。
たとえば黄色信号が表示されたときに、現在の時速と停止線までの距離から停止に必要な減速Gを瞬時に計算し、ブレーキをかけるのかそのまま通過するのかを判断するなどは簡単なことでしょう。それに基づいてペナルティが判断されるなんていやですよね。
自動車学校・教習所的に解決方法はあるのか? ~俺の日じゃなかった~
日常生活であれ車の運転であれ自分なりのルールがあるのは仕方のないことですし、またしかしそれが他人に理解されることなどはごく稀なことです。よほどコミュニケーションを密にした良いパートナーシップでない限りは。
したがって、自動車学校・教習所からのアドバイスとしてできることは少ないのですが、いい意味での「あきらめ」、これは仕方がない、自分の都合は通らないという考え方も必要かもしれません。
運転時の気持ちを知り、自身をコントロールするしかないと思われます。気を付けて運転しましょう!!
さまざまな規制や自動運転に束縛されないためにも。